ジョーカークラブ

コスター閉店間際に使っていたコスタージョーカー会員カードボトルキープのカード

天王寺に「Joker club(ジョーカークラブ)」と言うお店があった事をご存じでしょうか?
場所はアポロビルがある道向い、ビルの地下にあるバー。

お店の中は、カウンター席とボックス席あわせて30名ほどの大きさで、
奥にはアップライトのピアノと地下のお店なのに一番奥には大きな窓があり、
ガラス越しに夜の借景が最高でした。

マスターの名前は、「岡地義紀さん」S33年戌年生まれ。
パッと見かけは、アリスのべーやん堀内孝雄さんに似ていました。

ジャズが大好きなマスターは、気がむけばサックスを吹いていましたね。
当時はレフトアローンしか知らない私、
マスターはスタンゲッツがお気に入りでCDを掛けていました。

お店の名前の由来は、本名の岡地を逆さまに「じかお」とせず、
漢字を逆さまに地岡(じおか)→ジョーカーにされたらしい。

私の20代はこの店がなかったら始まらないと言っても過言でない、
特別大事なお店でバーのJoker club(ジョーカークラブ)です。

ある日突然、木こりになるとお店を閉店し京都の美山町へ。
その後、結局は大阪に戻ってくる。
それがなければ今もあったに違いないジョーカー。
いつか天王寺で再オープンされると信じ待っていたのですが・・・

私が初めてお店に伺ったのは、21歳の正月。
近くに住む高校時代の先輩に連れられて・・・。
それまでバーには縁がなく居酒屋や炉端がほとんど。
もちろん飲むアルコールと言えばビールか日本酒、
洋酒ではダルマ(サントリーオールド)しか知りませんでした。

その頃どこかに行きつけのバーが欲しいと思っていましたので、
ここだとそれから通いはじめ、
いつしか気がつけば毎晩のように天王寺のジョーカーへ。
毎晩通えば自然と常連客同士で意気投合。
今でもこの当時知り合った素敵な仲間が周りにいます。
また、その内の1人が実は私の奥さんでもあるのですがね。

洋酒の味を知らなかった当時、
初めてのボトルキープが何故かビフィータージン。
その後、バーボンウィスキーのファローズを何十本と空けて、
ようやくブランデーやウィスキーの違いも解りました。

何故今日はこのような話を書いているのかと言うと、
実はマスターの岡地さんがガンで3年前に亡くなっていたと、
昨夜、知人から連絡があったからです。

しばらくお会いする事がなく、
便りのないのが無事の知らせと思っていただけにショックです。

せめて何か出来ることはないかと考え、
いつまでもネット検索で岡地義紀・ジョーカークラブの名前が残ればと、
それが今の私に出来る供養の形です。

あまりに早すぎる40代の死に手向ける言葉も見つかりませんが、
今はただ一言

ありがとうジョーカークラブ。

ありがとう岡地さん。

 

ジョーカークラブ」への18件のフィードバック

  1. 私は中学から岡地氏と友達だった者です。大学の途中(20前後)から、付き合いが途絶えがちになり、多分岡地氏の結婚式に出席したのが最後にあった時だと思います。
    最近、年齢のせいか、なんとなく古い友人達に会いたく思い、時々ネットで名前を検索したりしていて、今日このページを見ました。本当にびっくりしました。
    彼との思い出がたくさん蘇ります。ジョーカークラブにも何度か遊びにゆきました。
    その頃は、ミュージシャンとしてや社会人として、どちらも彼がとても輝いていて見えて、自分と比べてしまい、気後れして、あまり喋れなかったことを覚えています。中学時代の夏休みには阿倍野霊園で墓掃除のバイトを一緒にしたり、タワシという友人と岡地氏と3人で山登りに行き遭難しかけたり、大学入学した年に、岡地氏と二人で、北海道の霧多布という所へ昆布採りのバイトに行ったりと、とても色んな思い出があります。10代後半の頃は、阿倍野エコーホテルのシャイアンというパブで働いていた岡地氏のとこへ、友人達とよく飲みに行ったり、みんなで浜寺プールへ泳ぎに行ったり、帝塚山のビークマンという店で私の後に岡地氏も勤めたり、連絡が途絶えても、要所要所で又めぐり合い遊んだ不思議な友人でした。岡地氏の優しいお母さんも思い出します。ジョーカークラブの後の彼のことは全く知りませんので、何か教えてもらえたら幸いです。あまりの事に、とりとめもなく書いてしまいすいません。本名は非公開なら書くのですが、よくわからないので伏せました。

  2. 白 さん 

    こんにちは と言うことは岡地さんと松虫の同級生なのですね。

    私も岡地さんの結婚式に伺いましたので、
    間違いなく白さんとはお会いしていますね。

    岡地さんのご両親が披露宴で社交ダンスを踊られていたのを思い出しました。

    ご両親はご健在らしく山王の実家をご存じでしたら、
    お盆も近いですのでぜひお参りに行かれてはどうでしょう?
    お墓はたぶん瓜破霊園らしいので、
    場所が解れば友人とビール持参でお参りしたいと思っています。

  3. どうも、こんにちは。
    そうです、松虫の同級生です。
    お目にかかっているとは思いますが、何分昔のことで、岡地氏の結婚式当日のことも
    あまり覚えていません。申し訳ないです。
    あの日、祝辞をご指名いただき、その緊張で頭に血がのぼっていたせいだと思います。
    たしか、りんごの種を見て、それが果実になるまでの長い時間を想像してもらって、岡地君が赤ちゃんで、まだ若い頃のあのお母さんに抱かれてる姿を想ってみて欲しいというような事を喋ろうとして、ぐちゃぐちゃになってしまったような記憶があります。
    さきほど、帝塚山のビークマンのお姉さん(オーナー夫人)に電話して、岡地氏の事を話しました。
    お姉さんもよく岡地氏のことを知っているので、大変びっくりしていました。
    大分前、ビークマンの常連の方より、長居にあるおいしい蕎麦屋の店主が岡地という名で男前だったと聞いたことがあると云ってました。お姉さんも彼かなと思ったのだが、真偽を確かめるほど詳しい話にいたらなかったそうです。
    うちの嫁は、結婚前に、岡地氏と私と三人で、岡地氏の車で鳥取砂丘に泳ぎに行ったことを覚えていると云っております。そういえば、岡地氏はなんか俺達の旅のカースケ(中村雅俊)のような、自由な生き方の男という印象があり、あの時、このまま砂丘をどこまでも歩いていって、僕らの手の届かない所へ行ってしまうのでないかと、ふと思ったものでした。今は、ほんとうに行ってしまったような、不思議な不在感を感じます。あなたは、彼のことをどうなふうに感じていらっしゃったのでしょう?
    マタマタとりとめもなく書き、失礼な質問でした。すいません。

  4. 岡地さんを偲んでどこかでワイワイ飲んで騒いで集うことが出来れば良いですね

    10人よれば皆それぞれの記憶があり
    それが岡地さんの生き方であったように思います
    人に媚びることなく自信に満ちた生き様でした
    また、人に本心を決してさらけ出さないような人かなぁ?

    岡地さんと二人で話した生き方の違い?みたいなのを覚えています
    ある日、私、Zさん、岡地さん三人で遊びに出掛けました
    あいにく大変混雑していて待ち時間が60分~120分と言われました
    私は、お店の方に頭を下げて何とか早くお願いしますとやんわり話しかけ
    Zさんは、冗談交じりでぶっきらぼうに「ええ加減にせい!早やくして!!」と言い
    岡地さんは、お店の態度があまりに横柄なのでその場から立ち去っていました
    解りますかこんな状況?

    私の姉と同い年なので実際は兄貴分の存在でした
    シビアで厳しい一面があり
    20代の頃は突っかかってばかりいました
    それらすべてが良い思い出です

    あと、離婚しましたが18歳になる息子さんがいますので
    何も出来ないですが陰ながら応援したいと思います

  5. 息子さんのこと、知らなかったので、私も陰ながら応援したい気持ちです。
    ご実家のこと、以前、前の道を通りかかったのですが、私の知っている場所には
    無かったように記憶しています。もう一度近辺を訪ねてみようと思います。
    もし何か集まるようなことがあれば、ぜひお邪魔して、みなさんの思い出等を
    聞きたい気持ちです。
    岡地氏に限らず、大阪の友人達は、あまり弱音を見せず、お互いケツを蹴飛ばしながら付き合っていたような気がしてます。
    そういえば、彼が気長に列に並んでいるようなところは見たことがありません。
    私もそうですが、列に並ぶよりは、なんか他人と違うフィールドを探すような
    とこがあるようです。
    彼とは当然同い年ですが、兄貴のようなところはありましたね。
    これからも、折々に彼の影に励まされて生きてゆくような気がします。
    彼のこと、色々知らないことが多いので、又何かわかれば教えて下さい。

  6. 残念ながら電話番号はわからなくなっていますので、訪ねた折は、
    近所で聞いて探してみます。
    又お墓にも、何とかお参りにいきたいと思います。
    色々教えていただいて有難うございます。
    僕らもいつか彼と同じところへ行くだろうと思うので、その時は又遊びます。
    それまでは、もう少しこっちで遊ぼうと思っています。
    いつかお会いできる時を楽しみにしています。

  7. 本日、ご実家を訪ねてきました。
    お供えをお持ちし、お母様と少し話せました。
    喉頭癌で平成17年に亡くなられたとのことでした。
    お墓の場所もうかがいました。又お参りに行ってきます。

  8. やはり直接の死因は喉頭ガンでしたか

    今は代替わりしていますが
    今里ロータリーの近くにある
    当時 居酒屋「いっぽう」と言うお店の女将さんから
    岡地さんが治療中だとの話は聞いていました

    でも 人一倍タフな岡地さんなので
    病気なんか十分克服されて 
    絶対マイペースで元気にされていることと
    心配なんかしていませんでした
    私だけでなく岡地さんを知る人はたぶん同じ思いだと感じます

    仕事がらお盆は忙しく我が家のお墓もお参り出来ない時期ですので
    落ち着けば私もぜひお参りしたいと思います
    とは言うものの場所は解りませんので
    今すぐでなくても結構です
    ぜひお教えくださいませんか よろしくお願いいたします

    ——————–
    天王寺
    私には思い出深いお店が一杯
    白さんは 茶臼山の堀越神社近くにある
    ドイツビアレストラン「ウィリー」ご存じでしょうか?
    実はここのマスターも50歳を目前に事故で急死され
    葬儀に参列いたしましたが
    若くして他界されるのを目の当たりにすると
    出来ることなら家族のためにも
    長生きせねばと痛感

    やっぱりどう考えても
    岡地さん
    ウイリーさん
    40代の死は早すぎです
    まだまだ元気でいて欲しかった

  9. ウィリーという店、知りませんでした。
    というのも私が大阪を離れてから、かれこれ20年以上たっていますので。
    お墓へもお参りに行ってきました。義紀という名前も刻まれていました。
    墓前で少し話してきました。どっかで聞いてるような気がしました。
    場所は2-2というエリアの南東角からひとつ内側へ入ったとこで、
    斎場の裏で、わかりやすい所です。
    裏が藤本さんになっています。管理事務所で聞いて行ったので、
    すぐわかりました。
    長く生きるかどうかは誰にもわかりませんが、まっとうするしかないですね、
    残されたものは、お互い。

  10. 白さん ありがとうございます

    数人で不謹慎かも知れませんが
    ビール片手にお参りしたいと思います

    私がブログに書き記し
    白さんが気づいて下さった事により
    多くの 岡地さんファンが 
    この事実を知っていただけるのではないでしょうか

    ———–
    天王寺 パート2
    新宿ごちそうビルが出来てから地下通路でつながり
    出来た当初の隠れ家的存在でなくなりましたが・・・

    新宿B2にバーで「雅楽」と言うお店はご存じでしょうか
    カウンターに座れば壁面に黒田征太郎さんの絵があるお店です
    ここのお店のママさんも以前から岡地さんと旧知の間がらのようです
    久しく私も行っていないのでここ最近の店の様子はわかりませんが
    ママさんの旦那さんでシゲちゃんがいれば岡地さんのこと話してみます

  11. 白さんからの情報を元に
    以下サイトからお墓の場所を確認できます
    ・瓜破霊園内案内図
    http://www.kankyoujigyou.or.jp/gyoumu/reien/uriwari/image/image_map.gif

    直線で我が家からお墓まで2km有る無しの距離
    そして先程配達の途中お参りに行ってきました
    なんと!!
    岡地さんのお墓の斜め前が私のおじいちゃん「榎本新一」の墓です
    こんな事があるんですね
    これ本当の話です 
    偶然とは言え やっぱり岡地さんとは縁があるのかも知れません

  12. 偶然このブログを拝見しました。ジョーカークラブにいらっしゃった皆さんが、いまも義紀のことを慕ってくれていることを知り嬉しく思います。私は義紀の従兄弟です。従兄弟とは言っても、同じ家に住んでいましたので兄弟同然ですが。6歳年下の私にとって、よっちゃん(義紀)はいつも自由で輝いていました。潜水士という現在の職業を選んだのも、よっちゃんの影響を少なからず受けていたためでしょう。昆布採りか、アメリカ放浪か、今もよっちゃんはどこかへ長い旅に出ているという気がしてなりません。

  13. K さん

    おはようございます
    コメントの書き込みありがとうございます

    一般には9/23秋分の日でお彼岸も終わりだと
    勘違いされている人も多いですが
    今年の秋彼岸は9/20(日曜日)~9/26(土曜日)まで
    K さんが偶然私のブログに辿り着いたと言うよりも
    なんか岡地さんから「たまには一杯どうや!!」
    とのお誘いの連絡が入った見たいな気がしてなりませんでした

  14. おはようございます。
    数年前からこのブログを存じておりましたが
    今までコメント等していなかったこと、お詫びします。

    私は優と申します。岡地義紀の実の息子になります。
    ほぼ、全く実父のことを知らずにいましたが、
    このブログで「あぁ、こんな人だったんだなあ」ということが分かり嬉しく思っておりました。
    実父に関する情報はこのブログの文章とコメントのみなので
    全く覚えていない実父は私の中で完全に神格化していました。

    尊敬出来る人格、そして多くの方に慕われていた人物なのだなぁ、と。
    どうも、実父と違いお酒は好きなのですが、そこまで強くなく、
    似ている所は音楽をしている所と顔だけのようです。

    そして、今になってコメントをさせて頂いたのは
    1つ、相談があるからでして、、、

    直接お会いし、話を聞くことは出来ないでしょうか?

    正直、実父の事を知らなくても
    別に知った所で、、と思っておりました。

    が、何度もこのブログを拝見してるうち、
    やはり、義父のことを知りたい、という気持ちが膨らみまして、、。

    良いお返事、お待ちしております。

  15. 岡地さんの訃報に、唖然としてます。。。
    ジョーカーの事、忘れられず、ずっと気になってました。
    榎本さんにたどり着いたら。。
    言葉が見つかりません。

    • おはようございます。

      もしかして阿倍野のSさんでしょうか?
      そうだとしたらホントお久しぶりです。

      つい最近もあのなつかしいエコーホテルのシャイアンで、
      バイトしていた岡地さんの同級生Yさんから、

      榎本なら岡地さんの連絡先知ってるはずやからと、
      電話があったばかりです。

      岡地さんを知っている人は、
      まさかそんなに早く逝去してたとは考えもしてません。

      去年、岡地さんの息子さんとこのブログにコメントいただいてすぐに、
      二人でお墓にお参りして夕方から平野の界隈を数軒はしご酒。

      チョットは岡地さんの役に立てたかなぁ

      • そうです。覚えていて下さりうれしいです。
        ほんと、長い間ご無沙汰しております。
        もう、20年位になりますよね。。
        釈迦堂さんのホームページで、奥様とお母様のお顔を拝見しました。
        お変りないご様子で何よりです。
        結婚式にご招待頂いたのが、つい昨日のように思い出されます。
        岡地さんを通じて、色々な方々とお知り合いになれた事が、私にとって貴重な財産です。
        岡地さんが残して下さった遺産ですね。

        久しぶりに、同窓会したいですね!
        近いうちに、お店にお伺いしたいと思ってます。。。
        老けたから、わからないかな~

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