胃カメラ検査と明治屋

今週月曜日、先月の人間ドッグで見つかった胃のポリープを確認するため、
生まれてはじめて胃カメラの検査を体験。

ちょうど自宅の道向に「ながはまクリニック」さんと言う病院があり、
遠くまで足を運ぶことなく検査が出来るのでラッキーです。

胃カメラの検査をされたことがない方のために、
少し内容のこと話します。
前日夜9時から絶食し、当日はもちろん朝食なし。
朝、病院では、体を締め付けるようなものはすべて脱ぎ、
用意された病院の着衣に着替えます。
おちょこ一杯の飲み薬が出され一気に飲む、
次に同じ量のゼリー状の麻酔薬を7分間口に含む、
(結構、後から思えばこれがつらかった)
そして7分経過後、麻酔薬をはき出し、
胃の動きを押さえる筋肉注射を一本と、
血液の流れを見やすくする注射も一本打たれる。
そして横になっていよいよカメラ挿入です。

先程の麻酔薬が効いているせいか挿入時の痛みなどはない。
お腹の中にカメラが入るとごそごそ何かが動いてる違和感はある。
検査時間は、10分程度だったように思う。
検査終了後、着替えても良いですよと看護婦さんが言ってくれたのだが、
ベッドから起き上がれるのだが、
麻酔が良く効いてお酒に酔っぱらった状態で頭がフラフラする。
着替えは後回しにし、別のベッドに移動、最後に点滴をすれば終わりです。

すべての検査が終わるまでの所要時間:1時間程度。
検査後、先生から診察結果が報告される。
胃内部に複数ポリープがあり、
その中の一部を切り取り精密検査へ出すとのこと、
悪性か良性かは、一週間後に解るようだ。
たぶん大丈夫だとは思うのだが・・・

お酒が好きな私は麻酔が効きにくいと思っていたが、
予想外にお昼過ぎまでクラクラしていました。
病院から帰宅後、今日はゆっくり休もうとしていた矢先、
友人からお誘いの電話が、
結果、早い時間から懐かしの飲み屋さんに行きました。

天王寺では言わずと知れた老舗「明治屋」さん、
久しく行ってなかったのだが、
大阪市の都市再開発計画により、
近いうちに取り壊される事になっているので、
それまでには絶対訪ねたかったお店。
周りのお店は大半が取り壊され仮店舗営業なのに、
ポツンと取り残された状態で現在も営業中。

明治屋-01明治屋-02

店内の写真はさすがに他のお客さんに迷惑が掛かるのでありません。
日本酒は木の香り漂う樽酒を味わえます。
黒ビールが好きな方には小瓶が飲めます。
早い時間に売り切れてしまう湯豆腐は絶対おすすめ。

友人の50歳 Anniversaryソングを

2008年夏より、多芸の友人が50歳の記念にと、
音楽CDのアルバム制作に乗り出し、
「ぜんぶ ありがとう」と「涙の坂道・神楽坂」の2曲をすでに完成させた。
もちろん当人のブログで紹介をしているのだが、
音楽の配信がすぐに公開出来ないようなので、
私で良ければお役に立ちましょうと、
酒席での流れでそう言うことになり、
本日はその2曲を紹介いたします。
また、カラオケバージョンまで用意済みですので、
ご興味があればお申し付け下さいませ。
もちろん無料ですよ。

それぞれの題名をクリックしていただければ聞くことが出来ます。

また、2曲まとめてダウンロードする場合、zip形式で圧縮していますので、
ダウンロード後、ウィルスソフトでファイルチェックを行い、各自お手持ちのソフトで解凍下さい。
以下URLより(約18MB)

https://blog.shakado.jp/tenshu/wp-content/uploads/2009/02/ryo.zip


「涙の坂道・神楽坂」(4分53秒 mp3ファイル合計:11.1MB)
作詞:穂坂 香 作曲:Ryo アレンジ:Kenny HANAOKA

1. 
あなたが 去り 季節は 流れ
月の光も 遠く見えない
あなたの 薫りを 心追いかけて
揺れるネオンに 影を見る
逢いたくて 愛おしくて
涙の坂道 神楽坂

2.
この坂道 上れば あなたの部屋へ
行ける想いは あるけれど
戻りは 出来ない 男と女
同じ過ち もうしない
逢いたくて 恋しくて
今日も坂を 見上げる
逢いたくて 愛おしくて
涙の坂道 神楽坂

3.
最後の言葉は「ありがとう・さようなら」
微笑みうかべて 小走りで
花街 小路の 黒塀沿いを
涙 抱えて 人波へ
逢いたくて 恋しくて
思い出だけが 通り過ぎ
逢いたくて 愛おしくて
涙の坂道 神楽坂


「ぜんぶ ありがとう」(3分22秒 mp3ファイル合計:7.71MB)
作詞作曲:BANDA FUZIWARA 保作詞編曲:Ryo アレンジ:Kenny HANAOKA

1.
淋しすぎるくらいが 調度いいから
やさしい言葉に 耳をふさいだ
はきだめの中で 見つけた白い花は
汚れたくらい へちゃらさ
ずいぶん 降って来たみたいだ
雨も お前も みんなまとめて ぜんぶ 好きだぜ

2.
行くあてもない カラスが 愚だをまく
「こんな はずじゃなかった」と こうべをたれる
誰にも知られずに 死んだ 野良猫に
天使が そっと Kiss する
ずいぶん 降って来たみたいだ
雨も お前も みんなまとめて ぜんぶ 好きだぜ
ずいぶん 降って来たみたいだ
雨も お前も みんなまとめて ぜんぶ 好きだぜ

間奏

いつまでも 降っていて良いんだぜ
愛も 裏切りも みんなまとめて ぜんぶ ありがとう
ずいぶん 降って来たみたいだ
雨も お前も みんなまとめて ぜんぶ 好きだぜ
ぜんぶ 好きだぜ
ぜんぶ ありがとう!


Yahoo!ブログ – RYOちゃんの大冒険~ミュージシャン編~
https://blogs.yahoo.co.jp/rzzz8888

墓地の競売

読売新聞の記事からです。
他人事とは思えない墓地の競売があるようです。
そもそも墓地は土地そのものを購入したものではなく、
あくまでも墓地の永代使用権を購入する事です。
ところが、墓地を所有する霊園運営者が、
金融機関などから融資を受ける際、
墓地に抵当権を設定し担保として差し出している場合、
もし借金が返済出来ないと、
抵当権者が墓地を競売に掛け融資金を回収する事になる。

すると、大変、購入したはずの永代使用権そのものも、
競売の落札者に引き継がれることなく消滅する。

我が家の墓地もいつそうなるとも限らないので、
他人事のように思えない。

永代料払ろうたのに何でや!墓地競売、落札企業が再請求 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
https://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090222-OYT1T00460.htm

太陰暦 1日のはじまり

本日付け(2009/02/21)日経新聞 一面のコラム春秋にて、
ユダヤ歴では1日のはじまりは日没からと書かれています。

これって明治5年に太陰暦が廃しされるまでの日本と同じです。
新聞記者もその事を知っていたかも知れませんが、
旧約聖書の話より出来れば日本の話をして欲しかった。

今の太陽暦では、1日のはじまりが午前0時からで、
それが現代人には当たり前で疑問すら感じていませんが、
よくよく考えてみれば、
太陽の日が沈めば仕事が終わり1日が終わるんだと考えれば、
1日のはじまりは日没からと考えられなくもない。

日が沈み1日が始まれば日の出までに何をすれば良いのか
あわてずに考えることが出来、良い仕事に繋がるかも。

NIKKEI NET(日経ネット):社説・春秋-日本経済新聞の社説、1面コラムの春秋
https://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20090220AS1K2000220022009.html

明治5年(1872)11月|太陽暦が採用される:日本のあゆみ
https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m05_1872_05.html

お釈迦の教えとは一体何?

私のブログで仏教について今まであまり多く語ったことはない。
宗旨や宗派による考え方の違いや、
また、同じ宗派であっても住む地域によりかなり違うからだ。

でも、このままでは葬式仏教だけが大きくクローズアップされ、
本来お釈迦様の伝えたかった教えが消えてなくなる危惧さえする。

そんな思いを常日頃抱いている所、
2009/1/24週間ダイヤモンドでも、
「寺・墓・葬儀にかかるカネ」と題しての特集記事が掲載された。
当然、週刊誌ですのでかなり過激な内容でもある。

当店の屋号は「釈迦堂」としておりますので、
ここはやはり人一倍深く考えて見る必要があると思い、
数年前からあれこれと勉強し調べています。

日本に伝わったお経などは、
古代インドのサンスクリット語を中国で漢字に翻訳したものですが、
実は、お釈迦さんが語っていないお経も多くあり、
その中で有名なものが、
父母恩重経(ぶもおんじゅきょう)や盂蘭盆経(うらぼんきょう)、
これらは、中国で作られたお経です。

ここ最近日本で注目されるようになっているものとして、
サンスクリット語ではなくパーリ語で残されたお経が、
少しずつ表舞台に出てきた。
日本ではこのパーリ語経典のことを、
まだまだ、ほとんど知られていない。
と言うか目を向けようともしていない。

小乗仏教と言えば聞いたことのある人は多いと思う。
まさしくパーリ語のお経=南伝(南方)仏教のこと。
中国や日本の仏教を大乗仏教と呼ぶのに対して、
蔑称として小乗仏教と名付けられたものだ。

小乗仏教とは、出家し悟りを得たものだけの仏教であると、
私も最近まで思い込んでいたのだが、
これは大きな間違いであると気づきだした。
まだまだ勉強中の身ですので、
今の段階ではこれ以上あまり多くは語れませんが

では、一体お釈迦様は何を語り教えていたのでしょうか?

死んでしまった人の供養でしょうか?
いえいえそうではない。

そもそも、生きるとはなんぞや!
を正確に観ることからはじまり、
その結果、どうすれば良いのかを教えていたのが、
どうやらお釈迦様の仏教らしい。

つづく